説明
2017年は畑の90%に霜害があったため、白は買いぶどうを足して造っています。とはいえ、柔らかく、きれいな酸のあるエレガントなワインに仕上がりました。水の多い土地と村の名前から 水の間(Entre les Eaux)と命名。
ニコラ・カルマラン について
アヴェロン県の北部、南西地方のガイヤックから約200kmほど、オーブラック山脈の支脈の山中に、ぽつんと孤立した村、コンプリエスがあります。その村はずれにあるのが二コラの家兼カーヴ。たどり着くまで、こんなところに村があるのかと不安になるほどの山奥、標高500mのこれぞ秘境中の秘境といった場所です。ここでワイン造りをしているニコラはもともとはパリ生まれで親の世代からビストロを経営していました。コンプリエスは祖父母がいた為、子供のころから夏休みなどに遊びに来る大好きな場所だったといいます。
ビストロ時代、多くの自然派ワインを扱っていたため、生産者たちとも交流があり、ワイン造りにも自然に興味を持っていきました。曽祖父がブドウ栽培をしていたこともあって、コンプリエスでワイン造りをしてみようと思い立ったのが2003年、40歳の時。小さなぶどう畑を借りて、パリから時々通って手入れをしたのでした。こうして、周りの生産者の友人、シリル・アロンソやフィリップ・パカレ、マルセル・ラピエールなどにいろいろ教わりながらのワイン造りが始まったのです。そんな中、大きな決断をしたニコラは2007年、パリから完全に移住、ワイン生産者として生きていくことを選びました。200年前からあった段々畑が放置されていたところを買い、コツコツと時間をかけて畑に戻し、新たに苗を植えたのでした。この地域には1930年代には1000ヘクタールものぶどう畑があったのですが、現在は19ヘクタールのみ。戦争や1954年の冷害、またあまりに急な斜面で栽培に手がかかることなどが原因で放置畑が増えたといいます。ニコラが買った元畑の土地は3ヘクタール。それにプラス、古い地元品種が9種類残っている畑など小さな区画を全部で1.8ヘクタール借りています。ニコラのぶどう畑は200年前に作られた石垣の段々畑。ウインチのような機械を使わなければぶどうを運ぶのも大変な程急斜面にあり、耕すために使う機械も小さなものしか入りません。本当に厳しい状況でブドウ栽培をしていることがひと目でわかる畑ですが、ぶどうにはとても適した土壌と気候に恵まれているといいます。
「良いワインを造るには良いぶどうと時間が必要だからね。よいぶどうのための作業は苦にはならないし、楽しみながらやっているよ」時には、友人でもあり自然派生産者の先輩たちが遊びに来たり、作業を教えに来てくれたりするといいます。「ガメイを1000本植えたときはマルセル・ラピエールのぶどうの枝を分けてもらったし、この間はエリック・プフェリングが来て、枝先を切るのは根を切ることと同じだって教えてくれたよ」初リリースから7年目を迎えた今、少しずつ増えているものの、たったひとりで造るワインの生産量は4種類合わせて8000本程度の超限定。その20パーセントを日本に分けてもらっています。人気があるのにパリのビストロでは常に入手困難とあって、幻のワインとの評判もあるとか。「うれしいことだよ。ワイン造りは大変じゃないかって?好きじゃないとできないよね、仕事は何でも。そうすると大変でも気にならないし、自然にいいものが出来るんじゃないかな。みんなに喜んでもらえると思うとますます造りがいがあるよ」人生を変えてまでワインを造ることにこだわったニコラ。小さな苗だったぶどうたちもすくすく育って、ますます素晴らしいワインを造りたいとワイン道を驀進中!今ももちろんおいしくて魅力いっぱいですが、まだまだこれからが楽しみなニコラのワインです。
(イポーター資料より)