説明
終始雨が多かった2010年に対し、2011年は雨が非常に少なく、太陽に恵まれた年。2010年のリボッラの収穫が終わったのが11月15日で、2011年は11月23日。2010のブドウには、一部貴腐の付いたものもありましたが、2011には一切なし。2010年は貴腐の恩恵もありアルコール度数が14%ありますが、2011は貴腐なしで何と15.5%!!!!!
シャルドネやソーヴィニョンのようには度数の上がりづらいリボッラで、こんなアルコール度数のワインだなんて、見たことも聞いたこともございません!そんなモンスター級のボリューム感ですが、飲み心地はあくまでも軽やか…驚いていただけると思います!
ヨスコ・グラヴネルについて
「その当時に“最新技術”と呼ばれていたものは一通り試してきた。私自身若かったし、やる気に満ち満ちていた。このあたりから父との(ワイン造りに関する)意見の不一致が始まっていったんだけどね…。かつての私のモットーは、“多かろう、良かろう(美味しかろう)”。つまり、よりリッチでたくさんの要素があればあるほど美味しいワインであると考えていたし、そこに辿り着くためには今日ありとあらゆるワイナリーに存在する全てのモノ(設備、機械)が必要なのだと固く信じていた。最新の技術に魅せられ、度を越した意欲で溢れていた私を見て、父はいつか私自身の歩みを取り戻すことを期待しながら笑顔で見守ってくれていたんだろうね。実際に父の思惑通り、ステンレスタンクから始まってバリックに至るまでの過剰な醸造設備を徐々に処分していくことになるのだけど…。5000年以上に渡って続いてきたワイン醸造の伝統歴史が、たった数十年(の出来事、その間に生まれた技術論)で書き換えられることなどあってはならない。私のセラーには、あらゆるテクノロジーも特殊効果も存在しない。コーカサス地方からやってきたアンフォラがオスラーヴィアの大地に抱かれながら休む場所…。私は(このセラーの)シンプルさと機能性を愛してやまない。」
このHPからの抜粋は、“カンティーナ(セラー)”という章の全訳になります。とても簡潔ですが今現在の彼のワイン観や“美味しさ”に対する考えが余すことなく盛り込まれている気がします。
意図的に、そして技術を駆使して生み出される美味、仮にその味筋が時流に乗るものだったり、大多数に好まれるものだとしても、もはや自分は興味がない。美味しいよりも何よりもワインはワインとして真正(ホンモノ、伝統に則った、真っ当)でなければならない。真正なワインたらしめるためには、母なる大地への畏怖の念と偉大なワインの歴史に対しての敬意を忘れてはならない。その畏怖の念と敬意を持ち合わせていたのならば、畑では自然を観察しようと努め、自然界との調和の取れた農業のあり方を模索するだろうし、セラーでも“造り手”としての我を殺し、ただただブドウ、ワイン、微生物たちにとって居心地の良い環境を創出することだけを心がけ、自然の流れやリズムに身を委ねるような醸造方法を採用するはず。
このような考えのもとに生まれたワインには、ブドウ、テロワール、ヴィンテージの個性が余すことなく表現される。それら個性は、自然の持つ多様性、神秘性が表出したものとも言え、それこそがワインが持つべき“美しさ”(=美味しさ)である。とどのつまりは、“狙った美味しさではなく 自然に備わった美味しさ”といった感じになるのかと。
インポーター資料より
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