説明
Piconnet について
シャンパーニュ地方のブドウ栽培面積は全体で約34,000haだが、その内の4分の1は南部にあるコート・デ・バールが占めている。北部の主要産地であるモンターニュ・ド・ランス、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ、コート・デ・ブランと約100km離れているため、気候や土壌、ブドウの植樹比率などが北部とは異なり、歩んできた歴史も北部のそれとは違っている。1908年にシャンパーニュの境界線が定められた時、北部の人々はコート・デ・バールをシャンパーニュとは認めず除外した。南部の人々はこの決定に異議を唱え暴動を起こし、1911年にシャンパーニュとして認められるも、「第2ゾーン」という扱いだった。その後1927年、シャンパーニュの原産地呼称ができた年に第2ゾーンというカテゴリはなくなり、北部と同等のシャンパーニュとして認められたのである。このような歴史的変遷から、コート・デ・バールはどこか田舎っぽい、発展途上というイメージを持たれなかなか脚光を浴びることはなく、多くのブドウ生産者は地元の共同組合やネゴシアンにブドウを販売していた。
しかし2000年以降、ワインの瓶詰めを行う生産者が誕生し始めた。その中でもセドリック・ブシャールは未開の地であったコート・デ・バールのテロワールを表現しようと試みた第一人者といえる。コート・デ・バールは北部とは異なりキンメリジャン土壌で、南に位置するため北部に比べてより成熟し果実味に富んだボディがあり芳醇なスタイルとなる。セドリック・ブシャールは、単一品種、単一区画、単一ヴィンテージでのワイン造りを行うことで、北部のクラシカルなスタイルとは違うコート・デ・バールの特徴を最大限に表現した。彼のこだわりの詰まったシャンパーニュはワイン評価誌で高評価を獲得し、コート・デ・バールの品質の高さを世界に知らしめることになったのである。セドリック・ブシャールを筆頭に、コート・デ・バールのテロワールを表現しようとする造り手が台頭するが、アンセルム・セロスの下でシャンパーニュ造りを学んだヴェット・エ・ソルベなどもその一人だ。
コート・デ・バール中部のヌーヴィル=シュル=セーヌ村にワイナリーを構えるピコネも注目すべき生産者の一人だ。当主のクレマンはアヴィーズで2年勉強したのちスイスで3年間栽培、醸造を学び、ブルゴーニュのティボー・リジェ・ベレールでも修行を重ね2009年に戻ってきた。2013年までネゴシアンにブドウを販売しており、2014年にワイナリーを創設した新しい生産者だ。クレマンはスイスやブルゴーニュでの学びを畑で実践し、最高品質のブドウ造りを目指している。例えば、東向きの畑は50~80%の葉を取り除きブドウに朝日を浴びせるのに対し、西向きの畑は西日でブドウが焼けるのを防ぐために葉を残している。また、収量を落とすことで糖と酸を凝縮させ、アルコール発酵はステンレスタンクのみで行い果実味をしっかりと保っている。一番搾りの果汁のみを用いることでよりフレッシュな酸を手に入れるようにしているため、マロラクティック発酵をしているにも関わらず高い酸が保持され、ピノ・ノワールのリッチな味わいの中にも張り、ミネラル、酸のバランスが取れたワインを造り出している。
コート・デ・バールの新世代の生産者たちは、伝統にとらわれない新しい視点をワイン造りに取り入れ成長してきた。北部とは異なる歴史を歩んできたコート・デ・バールだからこそ、自由で想像力溢れるシャンパーニュが誕生するのだろう。彼らの活動は確実のこの地に活力を与え、次に続こうとする人々に影響を与えている。コート・デ・バールはもはや発展途上な地域ではなく、世界中のシャンパーニュ愛好家たちを惹きつける魅惑的な地へと変貌したのだ。2018年には「Empreintes(アンプラント)」というバールの若い世代が集まったグループが発足したが、ピコネもこのグループに所属している。それぞれのワイナリーが土壌を解釈して造り上げるワインを伝えていくという目的で作られたこのグループはジャンシス・ロビンソンの目にも留まり、新たな試みをしているグループとして紹介されている。 ピコネは2017年に最初のシャンパーニュをリリースした新しいワイナリーのため今はまだメディアに大きく取り上げられてはおらず、まさに掘り出し物の新規生産者といえる。コート・デ・バールの品質に世界中が関心を寄せている今日、ピコネにも注目が集まることは間違いない。今後の活躍に目が離せない、絶対に手に入れるべき生産者の一人である。
インポーター資料より
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