説明
ラテン語で「赤い光」という名のキュヴェで、プティットフルールと同じ区画のガメイを12日間マセラシオンカルボニック後、ステンレスタンクで6 ヶ月発酵・熟成しました。ピンクを帯びたルビーの外観から、イチゴミルクや梅紫蘇の香りを感じます。しっとりとしたアタックに綺麗な酸に続くミネラル分の塩気が心地良く絡み合う味わいで、今後の更なる旨味の突出に期待が高まる逸品です。
ヴァンサン・トリコ について
Domaine Peyra、Pierre Beauger氏らの出現によって注目されてきたAuvergne地方。フランスの丁度真ん中に位置するオーヴェルニュには、シラクの生まれ故郷であるクレモンフェランの南にブドウ畑が広がり、20世紀初めまでは南仏とボルドーに次ぐ3番目の栽培面積を誇っていました。ところが他の地域より20年以上遅れてやって来たフィロケセラによる被害と第一次世界大戦の影響で、ブドウ造りをやめる農家が増えて行き、ワイン産地として長らく内陸部で取り残された地域となっていました。21世紀初頭フランスではまだまだワインに対する考え方が保守的で、御存知この地のワインはどんなに頑張ってもINAOの法規上、VDQS以上にはなれませんでした。けれどもこの地の可能性を求めてやってきた、新しい造り主はそんなの関係ないさ!と言ってのけ、Table Wineに落としてまで、自分のワイン造りを始め、生産量は少ないですが、ナチュラルワインの産地として多様なスタイルのワインを生み出していいます。
ヴァンサン・トリコは1972年にロワールのアンジュ地方で生まれました。南仏ニームでワインを11年造っておりましたが、いよいよ独立の時期が到来、選んだ地は数々の縁と偶然が重なるオーヴェルニュ地方でした。奥様のマリーは生まれて6 ヵ月間をクレモンフェランで過ごしたそうです。その後ワイン商を営む両親と共にボージョレに移り住み、ヴァンサンと出会い1999年に結婚しました。その場所はオーヴェルニュの教会、フランスの真ん中で全土から友人達が集まりやすいという理由からでした。そして翌年独立を期して畑を探し始めた頃、マリーの両親がバカンスにこの地方を訪れ偶然聞きつけて来たのが当主が後継者を探していた現在のこの土地です。それは彼にとってChance到来、この地で長い間(1971年~)無農薬で畑を守っていたClaude Prugnard氏、そろそろ年齢的理由で引退を決心、子供がワイン造りに興味はなく残念ながら畑を手放なさなければならなくなりました。最後に彼のワイン造りを手伝ったヴァンサンの情熱に惚れ込み、畑とシェ(醸造所)を譲りました。2000 ~ 2002年は金銭的理由で借りておりましたが、2003年に購入、名実ともにオーナーとなり自分のワインを造り始めました。
畑は全部で4.6ha、内訳は3.3haのGamay、0.7haのChardonnay、そして何と0.6haのPinot Noirなのであります。昔この地では沢山のPinot Noirが植わっておりましたが、近くBourgogneの関係で泣く泣くブドウの木を抜かなくてはならないほど、経済的ダメージを受けたこの地で、頑なに守られてきたPinot Noir。私だって喉から手が出るほど欲しい畑です。彼も同じ意見で、これからもっとPinot Noirを植えていきたい!と夢を語ってました。どうして大変なBIOを選んだのですか?との問いに自然が大好きだからと…。皆BIOの実践者は同じような答えが返ってきます。意地悪な私は「女性は都会が好きだけど奥様の反対はなかったですか?」との問いに、彼女のお父様もボージョレでネゴシアンをしていたから、田舎暮しやワインへの理解は大丈夫です。と仲の良い御夫婦です。
ファーストヴィンテージから無添加醸造に挑戦し、15年を経てその完成度を高めるVincent Tricot は、世界中からひっぱりだこになっています。
(インポーター資料より)
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